小説家・平野啓一郎が過ごした鎌倉の海と、その時間

平野啓一郎

2024年8月、小説家の平野啓一郎さんに《UMITO 鎌倉 由比ヶ浜》にご宿泊いただきました。その体験を基にして書かれたエッセイは、 UMITOの広告やカタログ等でご覧いただけます。ここでは、滞在中に行った平野さんへのインタビューをお届けします。

別邸だからこそ気兼ねなく。家族・友人との自由な時間。

— 台風が接近していて心配しましたが、今は快晴ですね。

深夜から明け方にかけて少し雨は降りましたが、割と落ち着いていました。おかげで晴れた日の景色と雨の日の景色の違いも感じられました。

— まもなくチェックアウトの時間です。初めて《UMITO 鎌倉 由比ヶ浜》に宿泊されてみていかがでしたか?友人家族も招かれていたとお聞きしました。

素晴らしかったです。事前に写真を拝見してはいましたが、デザインも広さも思っていた以上でした。たくさんの人が集まれるスペースがある一方で、一つひとつのベッドルームのプライバシーはしっかり守られていて、友人を呼んでも楽しめる作りになっている点が良かったです。昨日の夕食は、持ち込んだ鴨を料理して食べて、みんなでワイワイしながら楽しみました。

それに海からこんなに近いとは思いませんでした。建物からの眺望はもちろんですが、目の前を走る道路(国道134号線)の下を通るトンネルを抜けると、ビーチまで気軽に行くことができて。鎌倉にはこれまで何度か訪れていますが、海の近くまで来たのは今回が初めてで、こんなに綺麗だったんですね。遠浅で、砂がパウダーみたいに目が細かくて。裸足で波打ち際を歩くと、足元を波が行き来するたびに踵が少しずつ砂に埋もれていく感じが気持ち良かったです。昨日の夕方と、今日の朝も、子どもたちを連れて堪能しました。

窓の外に広がる鎌倉の海。

— 「海と共に過ごす別邸」を掲げるUMITOにとって、海は特別な存在です。その時々で変化する海のどんな表情が心に残りましたか?

どの時間にも良さはありましたが、夕方は特に綺麗でした。少し日が落ちてきてから散歩がてら外に出たときに、ちょうど山の近くに沈んでいく日の光が見えたんです。海原の一面に降り注いで、サーフィンしている人たちの姿がその光に埋もれそうになりながら影としてポツポツと点在している光景は、まるで神話の中の人物たちのように感じられました。

夜の真っ暗な海も、それはそれで迫力があって、静かにものを考えるのには良かったです。ただ日中はもう本当に暑くて……、涼しい室内から眺めるのが丁度良かったです。

— 季節が変われば、日中の海もまた魅力的に感じられるかもしれませんね。

秋から冬にかけての海もすごく好きですから、そのときの方がより深い思索に誘ってくれそうです。

都市部での生活を離れ、ただ海を眺めるという贅沢。

— 今回、平野さんにはエッセイの執筆をご依頼しました。UMITOに初めてご宿泊いただいたことで執筆のアイディアは得られましたか?

これまでも用事や旅行で海辺に滞在したことはありましたが、1日中その部屋にいるということはなく、今回のようにゆっくり海を見る時間を持てたのは稀です。真正面に海が広がっていて、リヴィングからよく見えました。朝、昼、 夕方、夜と、時間経過と共に変化する海の表情を定点観測できたのは良かったなと思います。

あとは家族や友人と散歩していたときに、おそらく近所の高校だと思うのですが、制服を着た男の子と女の子がビーチに座ってデートしていて。こういうところで育ったら、こういう日常、こういう青春もあったのかなと、地元の人たちの生活の中に自分がちょっと足を入れられたように思いました。僕だけが注目していたと思ったのですが、あとで聞いたらみんながその高校生カップルを見ていたようで、「人生のピークじゃないか」と話したりしました(笑)。

由比ヶ浜海岸・材木座海岸を一望できる屋上テラス。

— UMITOでは運営する別邸を「スモールラグジュアリーホテル」と表現し、少数の宿泊者に向けて行き届いたサービスを提供しています。ご宿泊いただいたことで、スモールラグジュアリーの理念は感じられましたか?

景色をぼんやりと眺めている時間は、とても贅沢なものでした。都市部で生活していると、30分でも1時間でも、景色に集中するということはないのですが、海は不思議とそれができてしまう。波のどのひとつも同じものはなく、見ていて飽きません。

あとはやはり、みんなが気兼ねなく自由に過ごせるというのはまさに別邸と言いますか、たとえスイートルームくらいの広さであってもホテルでは経験できないものだったと思います。常識の範囲で、子どもたちが走り回ったり、大きな声を出したり。《UMITO 鎌倉 由比ヶ浜》は一棟貸切ですし、他の場所ではレストランが併設されていたりもするとお聞きしたので、UMITO全体の中でも例外的な場所なのかもしれませんが。

海を眺め、ゆっくりと流れる時間。

— 平野さんはこれまでに別邸・別荘の所有を考えられたことはありますか?

ないですね。飽きっぽいので、同じところに何度も行くより、色々なところに行けた方が良いなと思ってしまいます。それに別邸・別荘と聞くと車の運転とセットのイメージがありますよね。車をほとんど運転しない僕にとってはそれが面倒で。《UMITO 鎌倉 由比ヶ浜》は駅から近くて助かりました。UMITOは熱海や沖縄などにも施設があって相互に利用できるそうですね、色々な楽しみ方ができそうです。

蘇る記憶。文学作品を通して再発見した海。

— 平野さんにとって海とはどんな存在でしょうか?海の近くで育ったとお聞きしました。

海に来ると、記憶がすごく蘇ってくるんです。僕が育った北九州の海は、港湾地区として非常に整備された工場地帯の海なのですが、一方で玄界灘に接しているすごく綺麗なビーチもありました。子どもの頃から家族とよく一緒に訪れて、お弁当を食べたり、海水浴したりしていました。そうした少年時代のノスタルジーと結びつくこともあれば、もう亡くなってしまった人のことを思い出してしんみりすることもあります。

また、世界中の色々なところに行って海を見るようになってからは、親しみと目新しさの両方を感じています。同じ海だけれどそれぞれ違い、それぞれ違うけれど同じ海でもある。そう感じるようになったからなのか、海に対する愛着は年々深まっていますね。

あとは文学作品にも海を描いたものはたくさんありますから、それらを通じて海を再発見しているところもあります。

微かに聞こえる波の音と、吹き抜ける心地よい風。

— 海を題材にした文学作品の中で、思い入れのある作品をいくつか教えていただけますか?

三島由紀夫の『海と夕焼』は、十代の頃に読んで特に好きでした。ちょうど《UMITO 鎌倉 由比ヶ浜》からそう遠くない、建長寺という山の上の寺から鎌倉の海を見ているという内容です。短編ですが良い作品ですよ。

トーマス・マンの『ヴェニスに死す』もそうですね。ものを作ることを仕事にしている人間にとって、海という単純な風景がなぜ必要なのかということを端的に説明している件があります。僕が海を再発見する上で非常にインスパイアされました。

シャルル・ボードレールも「人と海」という詩を書いています。彼が生きた19世紀半ばは、海には今よりもロマンチックな恐ろしい未知の世界というイメージがありました。人がビーチを介してレジャーとして海と親しんでいくようになるのは、医療行為としての海水浴が広がった19世紀後半ですから、ボードレールはちょうどその狭間の人と言えます。海の深みと人間の深みを比較しながら似ているところを詠っていて、非常に好きですね。

— 平野さんのエッセイとあわせて、今後UMITOに宿泊されるお客様にはこの3冊もおすすめしたいと思います。

是非ここの本棚に入れておいてください。

PHOTOGRAPHY : Masashi Ura

TEXT : Yohsuke Watanabe (IN FOCUS)

EDIT : Shiori Saeki (IN FOCUS)

平野啓一郎

平野啓一郎

1975年、愛知県蒲郡市生まれ、福岡県北九州市出身。京都大学法学部卒。在学中の1999年に文芸誌『新潮』に投稿した小説『日蝕』で第120回芥川賞を受賞した。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。主な著書に、小説『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『ドーン』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』、『ある男』、『本心』等、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『考える葦』、『「カッコいい」とは何か』、『三島由紀夫論』等がある。2024年10月17日、短篇集としては10年ぶりの発表となる最新作『富士山』を刊行予定。
11月8日には、著書『本心』を原作にした実写映画が全国ロードショー。

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